2000年に関西から九州に移り、夫の勤務先のアパートに入居した。
アパートは、3LDKで広さはあったが、築10年なのに一昔前のアパートの仕様だった。
エレベーターなしの5階建て。(我が家は5階!)
断熱材が入ってないので冬は寒く、コンクリートの塗り壁は結露でカビが生える。
電気は20Aだから、すぐにブレーカーが落ちる。
温水器がないから台所は瞬間湯沸し器、風呂は溜め沸かし。シャワーはなく、洗面所でお湯が出ない。
歪があるので、押し入れの襖はスムーズに開かず、壁にはひびがある。
関西では分譲マンション(当然エレベーター付!)に住んでいたので、とても不便に感じた。
アパートは南と東が山に接していて、イノシシ、イタチ、フクロウ等が出没し、いろいろな虫が飛び込む。
5階の我が家の部屋にムカデが出現する。
鳥の歌声が良く聞こえることはすばらしいのだが。
アレルギー体質の長男は、アレルギー性鼻炎(冬場はひどくなる。)と、喘息性気管支炎を抱えている。
ハードな高校生活のストレスもあって、2005年9月頃から毎夜中に喘息を起こすようになった。
薬でコントロールできていたが、喘息の直接原因はおそらく埃。
長男は6畳のあふれるほどの物で囲まれた隙間に、布団を敷いて寝ていた。寝ている間の埃がかなりあったと思う。
新居に越して広々とした部屋でベッドで寝るようになってから、喘息は全く起こらなくなった。
そんな不便なアパートだったが、私はすぐに慣れて普通に生活していた。
夫は「マトモな家に住みたい。」と度々思い出したように言っていたが、勤務先には歩いていける近さ。
それにこの地にいつまでいるのかもわからないし、子どもの高校進学のための転居も考えたりして、
ずるずるとアパートに住み続けていた。私は家が欲しいとは全く思っていなかった。
2005年4月に長男は近くの高校に入学し、次男も同じ高校に進学するのだろうと先が見えてきた5月に、
セキスイハイムの「モデルハウスをお譲りします。」のチラシが入った。
それを見た夫の「万が一当たったら、ものすごい得だから申し込もう!」という言葉に私は乗せられて、
宝くじ気分でキャンペーンに申し込んだ。
この時は、まさか落選しても家を建てることになろうとは夢にも思っていなかった。
夫は「計画的ではない。」と言うが、私は夫の策略にはめられたような気がしてならない。
キャンペーンに申し込むと、セキスイハイムのUさんが我が家の担当になった。
Uさんは4月に入社したばかりの新人女性。所属は“ネット営業”。
申込時に”土地はない””工場見学不参加”(結局参加したが)と記入したから、
我が家はおそらく”商談になる可能性が低い客”と思われていただろう。
抽選前に実施された5月の工場見学に参加し、その時に初めてUさんに会った。
営業と具体的な話をしている夫が気が気でない私と、初めての工場見学で緊張しているUさんとで、
ぎくしゃくした会話をしていた。
Uさんは自分が入社して初めて担当した客から契約を取ることになるとは、思ってもいなかったらしい。
工場見学後、夫は着々と準備を進め、抽選前日には土地の下見に行き、
Uさんから落選連絡を受けたその場で家の設計を頼んでいた。
1週間後には土地の予約をし、本格的な打ち合わせへと話はどんどん進んでいった。
ということで、Uさんは幸運にも早々と入社して1件目の契約を取った。
が、我が家の担当となったため、Uさんはこの後かなり苦労することになる。
家を建てることになったので、予算を考える。私は平均的な広さの土地に、平均的な広さの家での総予算を考えていた。
最初はそれで良いと言っていた夫なのに、なぜかどちらも広くなっていく。
私の抗議に夫は、19年間車を買うために貯めていた自分の小遣い(高級車1台が軽く買える金額)を放棄し、
資金計画を立てて、可能だと論理的に説明(夫が得意)した。
私は反論することが面倒になり、途中からはヤケクソ気分で資金計画は夫に丸投げした。
家建築経験者からの”予算を考えながら設備を選ぶより、最初に欲しいものを全部付けて、
最後に予算に合わせて削る。”というアドバイスに従って欲しいものを全部付けたら、何も削らない羽目になっていた。
最終的総費用は、私が最初に考えていた総予算を約30%もオーバーしていた。
その1. 総タイル張り
約20年前、夫は総タイル張りのグロワールに一目ぼれした。グロワールは当時の価格で坪70万円以上。
その頃はまだ家を建てれる経済状態ではなかった。
それから夫は「家を建てるならセキスイハイム」と言い続けていた。
既に当時のタイルはなくて、現タイルから重厚感に惹かれてレジデンスタイルを選んだ。
色も一目ぼれした色(レンガ色)はなかったので、もっとも近いブラウンを選んだ。
残念ながらレジデンスタイルの実邸は見に行くことができなかった。
その2. 鉄骨ユニットラーメン構造
セキスイハイムの鉄骨ユニットラーメン構造は、日本古来の優れた建築様式を受け継ぎながら、
高品質、低コストを実現しているので、夫の家に対するポリシーにマッチしていた。
日本古来の柱と梁だけで家を支える構法は、開口部を大きく取れることと、 間仕切りを自由に移動できることが特長である。
大きな開口部は光と風を最大限に取り込み、 間仕切りの自由度は、季節や用途に応じてフレキシブルな空間を実現する。
その3. 移築できる
この地にずっと住み続けるかどうかわからないので、家を建てることを躊躇していたのだが、
セキスイハイムの家は移築できると知って決心した。
その4. ドマーニではなくパルフェを選んだのは
最初のプランでドマーニとパルフェの見積りが出て、ドマーニの方が40万円ほど高かった。(42坪の場合)
太陽光発電を載せるなら、陸屋根の方が多く乗る。夫はドマーニの外観を好まなかった。
以上の理由でパルフェになったのだが、私は三角屋根と屋根裏部屋が好きだ。